家族が三世代や四世代で生活するのが普通に有り得た時代から、極めて稀有となった今、最も難しい課題の一つとなっているのが、子育ての相談や具体的な援助だろう。
何故ならば、親が悩んだり迷ったりしたときに、相談したり助け手が欲しいのは、今すぐ、その場で、に他ならないからだ。
子供が泣く、わめく、ぐずる、わがままを言う、親の言うことを聞かない。0歳、1歳、2歳と、成長するに連れて、言葉がわかったり、自我が芽生え始めたりするに連れて、新米の親にとってはどんどん難しくなる。
家族が三世代や四世代であれば、経験豊富な生き字引の祖母、おばあちゃんがいる。おばあちゃんの力は絶大で、泣きわめく乳幼児を一瞬で泣き止ませ、落ち着かせる。
その姿に畏敬の念を覚え、時に神々しくも感じ、古代の人々は卓越したその様な人を神と崇め奉ったのかもしれない。
尊敬する文鮮明師は、三世代家族を奨励し、何度も何度もみ言として語られた。かくいう私もそのみ言には諸手を挙げて納得し、還故郷して後、三世代での交流に重きを置いた実践は30年近くにわたる。
我が家もご多分に漏れず、夫婦揃って、献金を含む教会活動や教会以外の社会貢献活動等に明け暮れた。もちろん、夜昼無く仕事をし、子育てには育メンや育ボスと世間が言う前からやっていた。ちなみに、得意料理は、玉ねぎを飴色になるまで炒めて作るリンゴ入りでニンニクの効いたポークカレーとお好み焼きだ。
献金も教会活動も、天に宝を積むことになる。教会以外の社会貢献活動(「為に生きる」実践)は、将来、子供たちが大人になったときに、あらゆるところや場面で役に立つ人脈の下地作りも兼ねている。
言ってみれば、「袖すり合うも他生の縁」の為の布石を打っている様なものだ。「為に生きる」ことで、神様にも世間の人々にも喜んでいただきながら、子供や子孫が良縁を結ぶ為の布石になっているのだから、何と有難いことだろうか。
無宗教や信仰を持たない人には理解出来ないと思うが、献金も教会活動も、実は、それ以上のものだ。
献金は自分の為ではなく、世界のあらゆる国々の課題を克服し解決するために使われてる。それは、巡り巡って、必ず自分に返ってくる。「情けは人の為ならず」そのものだ。
最も、近年では、「為ならず」を「為にならない」などと誤解や曲解をしている人が多いそうだ。諺一つ正しく理解出来ない世の中なのだから、宗教や信仰に対しては何をかいわんやである。
さてさて、記事画像(au Webポータル掲載、朝日新聞DIGITARの記事より。)の件だが、問題だと騒いでいる人々は、「行き過ぎた信仰故の度を越した高額献金から生じる貧困」や「子供に対して親からの信仰の強要や押し付け」を問題にしたいのだろう。
宗教や旧統一教会に対する先入観や決め付けを横に置いて、冷静になって考えればわかることだが、これは、家庭によって異なり、親次第であり、親子関係次第である。
しかしながら、「家庭連合」と銘打っている以上、苦言や非難は誹謗中傷などではなく、家庭に対してもしっかりと教育し指導しろよ!という有り難いエールと捉えることとしよう。
本音は、保守勢力の資金源と後継者(二世)を断ち、自民党を潰し、政権交代するか共産革命を遂行したい一心であったとしてもだ。
余談だが、1848年にマルクスとエンゲルスによって『共産党宣言』が著わされてから174年経つ。ロシアも中国も、失地の回復に躍起になるならば、更に踏み込んで、ロシアはキリスト教(ロシア正教)を正しく重んじ、中国は『孟子・離婁章句上』にある「順天者存、逆天者亡(天にしたがうものは存立し、天にさからうものは滅亡する)」を思い起こし、世界人類から愛され信頼され尊敬される国造りを目指して欲しいものだ。