今、ジュネーブで開催されている第136回総会の様子をBITTER WINTERが記事にしているので紹介する。
家庭連合を亡きものにしようと、用意周到に次から次へと手を替え品を替え、連携しながら、旧統一教会潰しに奔走している左翼陣営の人々。
宗教や信仰を理解するにあたって、心の拠り所という次元どまりであれば受け止められるものの、生きて働かれる神様や実在する霊界やご先祖様の霊、更には悪霊や怨みの霊ともなると全く受け止められないどころか、ちんぷんかんぷんでサッパリに違いない。
近年流行しているマインドフルネスと瞑想は似たようなものだが、祈祷となると全く異なる様に、その違いは行って来いの違いがある。
全く受け止められず理解できないものごとに対して、目を背けたり否定的になったりするのは人間の性(さが)なので、やむを得ないのかもしれない。
それが、単なる個性的かつ特殊な生き方であり、数ある選択肢の一つに過ぎないのであれば構わないのだが、実は、最重要事項であり、もし優先順位を付けたならば最優先すべきことだとしたらどうだろう。
人参、ジャガイモ、玉ねぎ、そして豚肉があるとしよう。
さて、何の料理が始まるのか?
ある人は肉じゃがだといい、ある人はポークカレーだという。
料理人は、何を作るかを先に考え、レシピに沿って作る。
適当に作っていたら、ポークカレーになった。とか、そういうことはない。
料理一つとっても、ゴールを前提にスタートする。
そう、レシピは最初に必要だ。
それなのに、死んだらどうなるかを知らずに、考えもせずに、ときには正反対の理解をしたまま知ってるつもりで人生80年も100年も生きるわけだ。
思春期を過ぎ、物事を客観的かつ冷静に考えられる様になったならば、生涯をかけてゴール目指してどう生きるかを明確にして改めてスタートラインに立ちたいものだ。
本来は、それが成人式だったりするのではないだろうか。
いよいよ死期が目の前に迫って来た時に、あああの時に悟っていたならば・・・。と悔いても悔やみきれない人生を生きるのは、なんと勿体なく残念なことだろうか。